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有り余る時間  暇人の日記

レンブラントを外堀から

先週末に、Aムステルダムのレンブラントハウスに行ってきました。

 

Rembrandthuis公式webページ

 

 

レンブラントハウスのモットー(予想)

このレンブラントハウスというのは少し変わった美術館で、「レンブラントを外堀から攻める」をモットーにしていると思われます。(勝手な予想です、ハイ)

 

ですので、ここを訪れてもレンブラントの有名作品は見れません。レンブラントの有名作品を見たいのであれば、おなじくAムステルダムにある国立美術館(ライクスミュージアム)に行くことをお勧めします。

 

では、「レンブラントを外堀から攻める」とは一体どういうことなのでしょうか?

 

大画家の素顔

レンブラントハウスは、かつてレンブラントが家族と暮らし、創作活動を行い、弟子たちに絵を指導した家をそのまま使っています。レンブラントの代表作「夜警」もこの家で描かれました。

 

家は当時に近い状態に再現されていて、工房、アトリエ、弟子が制作を行った工房の展示を通して、彼がどのように作品を制作し、顧客を見つけ、さらには後進を育てていたのかを知ることが出来ます。

 

さらには、キッチンなどの居住区も再現されているので、当時のAムステルダムの金持ちがどのような生活を送っていたのかも垣間見ることができるのです。

 

とはいえ、彼の人生は波乱万丈なものだったので、彼は大成功を収めた後に放蕩がたたって破産します。最終的にはこの家を出ることになるので、この家で見ることができるのは、彼が最高潮の栄華を極めていたとき生活というわけです。

 

企画展

レンブラントハウスのコレクションは地味なものが多く、昔の生活を展示しているので展示内容が大幅に変ることもありません。ですので、「レンブラントハウスはもう見たから行かない」という人がいますが、そう思ってしまってはちょっと損をしているかもしれません。

 

なぜなら、この美術館のもう一つの特徴は企画展だからです。

 

もちろん、企画展にもレンブラントの有名絵画はめったに来ませんw レンブラントハウスで有名作品を展示してしまったら、「外堀から攻める」のポリシーに反しますからね。この美術館はとにかくポリシーに忠実なのです。

 

もし今、Aムステルダムに来ている彼の有名絵画を見たいなら、悪いことは言わないのでエルミタージュ美術館分館に行った方がいいです。

 

hermitage.nl

 

では、レンブラントハウスの企画展では何が展示されるのかというと、彼の有名作品のエッチングで作ったコピーやオリジナルのエッチング作品、さらには彼と親交の深かった人物の作品展などが開かれるのです。

 

エッチング:ピンクな響きに似つかわず、完成作品の色は主に白黒またはセピア。版画の一種。金属板にあらかじめ耐酸性の薬剤を塗っておき、乾いた後に細い針で線を描き薬剤の膜をはぎ取ったあと、金属板を酸性の液に浸すことで、膜の無い部分だけ金属が溶けて凹凸ができ、印刷できるようになる。

 

 

先週(2/18)まで開催されていた企画展も、レンブラントの2人のお弟子さんの作品展でした。

 

一人は、フェルディナンド・ボル(Ferdinand Bol)、もう一人は、ホーファールト・フリンク(Govert Flinck)です。

 

レンブラントは若いころから有名な画家だったので、22歳の時から弟子を取っていました。生涯の弟子の数は累計で30人以上に上ります。

 

今回の展覧会のメインとなっているボルとフリンクは、その中でも特に有名みたいです。(私は全然知りませんでしたが!)

 

レンブラント大先生の弟子一覧(レンブラントハウスwebサイトより)

His pupils – Rembrandthuis

  

さて、上のリンクの弟子一覧によると、2人の弟子入り期間は1年だけかぶっているます。ということは、先輩弟子のフリンクがお昼休みに後輩のボルに焼きそばパンを買いに走らせたりという交流があったかもしれませんね。

 

焼きそばパン:中・高の購買部ではなぜかいつも人気だが、30歳をこえると、ちょっと重く感じる食べ物。炭水化物オン炭水化物の代表格。

 

見どころ

この展覧会の見どころは弟子たちの巣立ちと成長でした。

 

フリンクの方は、まず最初にレンブラントの師匠であるラストマンに師事し、その後、レンブラントのもとにやってきます。同じ師匠をもつという下地もあるので、レンブラントの下で修行中の時の絵も、かなりレンブラタイズされています。

 

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左:レンブラント作 妻のサスキア

右:フリンク作 羊飼いコスのレンブラント

 

どちらも、ふわっとした空気感のある絵ですね。レンブラントのコスプレについては、突っ込まないであげてください。当時はこんな感じで楽しく肖像画を描いていたようです。

 

ところが、独り立ちしてから時間が立ち、画家としての地位も確立できてくるとだいぶと作風が変わってきて、最終的にはこうなります↓

 

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 1652年のフリンクの作品。パリッとした!

 

この作品は今回の展覧会には来ていませんでしたが、展覧会で見た作品が見つからなかったので、イメージとして載せました。ハイ。

 

日本の芸事には守破離というものがありますが、フリンクのたどった道もまさに守破離そのものです。

 

ボルにも同じことが言え、巣立ちから画家として名をはせるまでの絵の変遷が見れる作りになっていました。

 

さいごに 

 こんな感じで、レンブラントの周囲の外堀を埋めて、彼の人となりを浮き彫りにするレンブラントハウス。レンブラントが好きな方はぜひ訪れてみてはどうでしょう?

 

後日談

翌週に偶然訪れたAムステルダムの王宮に、2人の絵が飾られていました。

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左がボル作のFabritius and Pyrrhus

右がフリンク作のThe incorruptible Consul Marcus Curius Dentatus

 

王宮は2回目で前回も同じオーディオガイドを聞いていたはずなんですが、当時はボルもフリンクも知らなかったので、スルーしていたようですw

 

2人の絵は同じ部屋に対になって飾られていたので、オランダ人にとってこの2人は「レンブラント大先生の弟子」枠で常にセットで捉えられているのかも。

 

とはいえ、王宮に飾られるくらいなので、「有名画家の弟子」以上の評価を得ていたのは確かなようです。