The world is my oyster

有り余る時間  暇人の日記

シリア難民って意外と普通の人だった

昨年から参加しているオランダ語の会話グループの受講者の多くはアフリカ、東欧、中東からの移民です。

 

中にはシリアからの難民もいて、まさに2015年にボートで危険な海を渡り、ギリシアから徒歩で北上してヨーロッパを目指してやってきた人たちでした。

 

私は彼らに会うまでは、難民と聞くと経済力が弱く、教育レベルも低く、オランダに来たとしても肉体労働のような単純作業に就くんだろうなと考えていました。また、気苦労が絶えず、楽しみが少ない生活を送っているのかなとなんとなく想像していました。

 

しかし、実際にオランダに来ているシリア人の難民は大変な中でも、自らに誇りと自信をもって、毎日を良いものにしようと生活していました。

 

恋をしている人もいれば、シリアに残された家族を思ってオランダに来たことをちょっと後悔している人もいます。

 

自分の意志でオランダに来たのになぜ後悔するんだ?と思うかもしれませんが、彼らはかなり特殊な状況で判断を迫られてヨーロッパに渡ってきたのです。

 

クラスで知り合ったシリア人の一人は、大学在学中に治安の悪化と徴兵の危機に瀕して逃げてきたとのこと。ISとの戦闘状態が激化する今のシリアで軍に入隊するというのは、自衛隊に入るのとはわけが違います。間違いなく前線に送り込まれ、死のリスクは限りなく大きくなるでしょう。

 

しかも戦場は母国で、戦えば戦うだけ母国が疲弊していくという泥沼の中にいるのです。

 

そんななか、断腸の思いでヨーロッパ行きを決め、命がけでやってきても、決してオランダは楽園というわけではありません。二十歳そこそこの青年が、言葉もわからない異国でたった一人で生活を立ち上げるのは想像以上の苦労があります。

 

オランダのルールでは、親は子供を呼び寄せられますが、子供が親や兄弟を呼び寄せることはできないのです。

 

そんな環境で孤軍奮闘していると、たとえ死のリスクがあっても故郷が恋しくなる気持ちはわかるような気がします。人間というのは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物ですから。

 

一方で恋をしている人もいました。彼らの生活は色々な面で不安定な要素が多いので、こんな状況で恋ができるのかと、正直ちょっと驚きましたが、彼らにとってこの困難はすでに日常なのです。シリアから逃げることで、最低限の脱出を図ったのちは、行きついた異国で根を張って頑張るしかありません。逃げ場はもうないのです。

 

困難が日常になるのであれば、少しでも心が安らぐ場所を求めるのは、自然な流れなのかもしれません。または、どんな状況でも恋をするというのが、人のサガなのかもしれません。

 

  

シリアからの難民には、学のある専門職の人もかなり含まれています。ヨーロッパまで逃げてくる人は、自国ではどちらかというと裕福だった人が多いようです。ですので、彼らの多くは生活保護に安住するのではなく、自ら自立してオランダでの成功を掴むことを渇望しています。

 

幸いにも難民に限っては政府の補助を受けてオランダ語学校に通えるので、多くの難民が生活保護を受けながら学校に通い、オランダの永住資格取得を目指します。オランダで永住資格を得るには、仕事の有無や収入の証明などのほかに、オランダ語レベルが一定以上であることも求められるからです。

 

このあたりも、オランダの税金を食い散らかしている難民というイメージとはちょっと違っています。確かに、今現在はオランダの税金を消費する一方ですが長い目で見れば、オランダ社会に利益を還元できる頼もしい存在になるのではないでしょうか?

 

もちろん、私が出会った難民は会話コースに来ている時点で、学習意欲も向上心もある人たちなので、もしかしたら難民の中でも一部の優秀な人なのかもしれません。

 

もしかしたら、私の知らないところで、生活保護に甘えて、自分たちのコミュニティーに安住し、オランダ社会と全く関わろうとしていない難民はいるのかもしれません。

 

しかし、少なくとも私の目からは、難民の人たちは何か特別な存在ではなく、自分が同じ状況に陥ったら、同じ選択をするかもしれないと思える普通の人たちに見えます。どこか遠い話でもなく、リアリティーのある存在に映りました。