The world is my oyster

有り余る時間  暇人の日記

分けもなくケルンまでドライブしたら酷かった話

先週末、暇だったので夫とドイツのケルンまで車で行ってきた。

 

ヨーロッパに住んでいる駐在家族さんたちはアクティブな方が多くて、いろんな国に車で行っているという話をよく聞くが、うちの夫は超インドア派。趣味はネットとネットフリックスだから、土日はほぼソファーから離れない生活だ。

 

かくいう私も、他人のことは言えない。家が好きだ。

 

とはいえ、たまには外に出ようということになり、珍しく車で出かけることにした。

 

さて、そんなわけで、車で手軽に行けて、近くに和食屋の多いデュッセルドルフがあって、世界遺産の大聖堂もあるというキャッチ―さから、安易にケルンに行くことに決めた。

 

後で考えるとこれが最大の誤りになるとは思いもせずに・・・。

 

小雨の降るOランダを出て、昼頃にはデュッセルドルフに着き二人でそばを食べた。ここまでは良かった。うん。ここまでは。

 

美味しいご飯は食べれたし、ドライブもできたのだからここで帰ればよかったものの、欲を出してケルンへ行ったのが運の尽き。ケルンについた私たちを待ち受けていたのは、尋常ならざる喧騒だった。

 

なんというか、一言で言うと、街全体が荒ぶっていた。

 

ケルンについての下調べを一切していなかった私たちは知らなかったのだが、その日(11月11日)は、カーニバルの開始日だったようで、街のみんながコスプレして街へ繰り出して酔いつぶれるという、毎年恒例のばか騒ぎをしていたのだった。

 

「コスプレして酔いつぶれる、毎年恒例のばか騒ぎ」だなんて書くと、ものすごく悪い印象を与えるかもしれないが、実際この祭りの印象派すこぶる悪い。(当社比)

 

基本インドアで、街でどんちゃん騒ぎをするようなキャラではない私たち夫婦は、道端で浮かれ騒ぐ人たちに唖然とするほかなかった。何が楽しくってここまで容器になれるのだろう?というのが正直な感想。リア充なパリピさんたちの気持ちは、いんキャラの私にはなかなか理解しがたい。

 

そもそも聖マーティンの日がカーニバルの始まりってなんなんだ!?私はクリスチャンではないので、何がめでたいのか、何を祝えばいいのか、そもそもマーティンって誰なのかさっぱりわからない。

 

さて、まさか街中がそんなことになっているとは思っていなかった私たちは、とりあえず初心貫徹を貫き、カオスな雰囲気が支配する市街を進んで大聖堂のそばまでやってきた。

 

駅のそばの駐車場に車を置いて、駅を通り抜けて大聖堂へ向かっていると、駅構内はお酒と食べこぼしのなんとも言えない不快なにおいが充満し、あちこちから陽気といえば聞こえはいいが常軌を逸した大音量の歌声が聞こえてきて、まさに飲めや歌えの大騒ぎ状態だった。

 

恰幅のいいゲルマン系の人々が、陽気に大騒ぎする姿はヴァイキングが闊歩する世界をを彷彿とさせる。これは血なのだろうか?中世のスカンジナビアもこんなんだったんだろうか・・・とどうでもいい妄想に思いをはせた。

 

 

このときのケルンと私の関係性を例えるなら、既にみんなが出来上がっている宴会に、友達は1人も来ていないのにしらふのまま飛び入り参加した人、みたいな感じだ。

 

強いアウェー感と埋めることのできないテンションの差の前に、地味人間の私は圧倒されるままだった。マリアナ海溝より深い断絶が、ヒマラヤ山脈より高い障壁が、私たちの間にはあった。

 

さらに、悪いことに酔っ払いにも絡まれた。

 

正面歩行からふらふらと歩いてくる酔っ払いが明らかにこっちにがんを飛ばしている。喧嘩でも吹っ掛けられたらどうしようと思っていたら、吹っ掛けられたのは喧嘩ではなく、サンドウィッチの食べかすだった。

 

彼が食べていたラップサンドをわざわざ落として、私に蹴りつけてきたのだ。

 

一体何なんだ!と唖然としている間に、その人はへらへら笑いながら私の横をすり抜けて歩き去った。正直、そばに落ちていたビール瓶で後ろか(陰キャラの心の闇は深い。)

 

悪いことは続くようで、大聖堂に行くと全ての入り口が閉ざされていた。大聖堂側からしても、こんな酔っ払いたちを中に入れたくないということなのだろうか?まあ、そうだとしてもその気持ちはわかる。むしろこういう人たちを聖堂に入れるのは神への冒涜だ。

 

せめて外観だけでも見て帰ろうと思ったが、外壁には補修工事の足場が組まれていたり、覆いがされていて、よく見えなかった。

 

下調べを怠ったおかげで、どうやら最悪のタイミングで見学に着てしまったようだ。

 

ケルンでの滞在時間はわずか20分。観光の目的にしていたことを何も達成できぬまま、現場のアウェー感に飲まれ、すごすごと帰るしかなかった。

 

ここは地味人間が足を踏み入れてはいけない街。

 

その教訓を強く胸に刻んで、帰路に就いた。